不二山 一乗寺は、山梨県南都留郡西桂町小沼にある臨済宗妙心寺末です。 開祖は、笑山西堂和尚。開山は永享三年(1431年) 本如実性景川禅師(景川宗隆:けいせんそうりゅう)によるものです。本如実性景川禅師は、妙心寺四派の一つである龍泉派の開祖であり、妙心寺中興の雪江宗深(せっこうそうしん)門下で四傑のひとりです。本尊は延命地蔵菩薩で脇侍は善悪二童子をお祀りしております。
由緒書では、「桓武天皇ノ御宇延暦十九年(800)ノ交富士山大焚シ、響百雷ノ如ク雲霧晦冥模糊トシテ咫尺ヲ弁セサル如シ剩ヘ延暦廿三甲申(804)五月頃、黑姻天ニ漲リ大地轟動シ焚石雨ノ如ク降レリト、於之国家安寧ノ祈祷並衆生供養ノ為メ、庵室(字本町ト云ヒ小沼村ト下暮地村ノ境,川ノ窪)ニ建設スト、名ケテ永興庵ト号スト、只ロ碑ニ存スルノミ」と記載があり、富士山の延暦大噴火の際に国家安寧の祈祷と衆生供養のために、一乗寺の前身となった永興庵と呼ばれるお堂があったことが記されています。 また、当山は、二度の火災に遭っており、貞享四年(1687年)の火災では、本堂やその他の伽藍を全焼し、元禄二年(1689年)鳳谷守逸和尚によって堂宇が再建され、寺号も永興寺から一乗寺と改めました。明治六年(1873年)に一乗寺に西桂小学校の仮校舎が設置され、翌年の明治七年(1874年)に永明寺に西桂小学校が移転しました。明治三十七年(1904年)の火災では本堂から出火、山門、鐘楼を除いた堂宇は焼失してしまいましたが、明治四十三年(1910年)に旧永明寺であった西桂小学校の建て替えに伴い、旧永明寺の本堂を一乗寺に移転、移築したものが現在の本堂になります。その後、昭和二十五年に、三本松地蔵堂を再建し、昭和三十九年に旧品第寺本堂を移転して書院として再建しました。また、書院再建の際に旧品第寺の十一面観音様(郡内三十三観音霊場札所の15番札所)を合祭しております。平成十八年に庫裡と鐘楼を再建し現在に至ります。

景川宗隆

室町‐戦国時代の僧(1408-1486)。 諡号は本如実性禅師。
大徳寺、妙心寺の住持を務め、妙心寺四派の一つである龍泉派の開祖となった。
妙心寺四派の祖はいずれも、「雪江宗深(せっこうそうしん)」の法嗣であり、以下の4人である。
景川宗隆(けいせんそうりゅう/龍泉寺派祖)
五渓宋頓(ごけいそうとん/東海派祖)
特芳禅傑(とくほうぜんけつ/霊雲派祖)
東陽英朝(とうようえいちょう/聖澤派祖)
景川宗隆が法を受け継いだ雪江宗深とは、妙心寺の六祖と仰がれ、龍安寺開祖の法を受け継いだ人物。

延命地蔵菩薩

当寺院の本尊。
六道に赴いて衆生を教化し、苦を除いて楽を与える菩薩。三途(地獄道、餓鬼道、畜生道)で姿を見たり名前を聞くと、衆生は人間道、天道又は浄土に転生することが出来る。三善道(修羅道、人間道、天道)で名前を聞くと、この世では幸福を手にし、来世では仏土に転生することが出来る。また、十種の幸福をもたらし、八つの恐怖を取り除くとも語られている。

十種の幸福:出産できる(女性)、健康で丈夫になれる、病を取り除く、延命、賢くなる、財産に恵まれる、敬愛される、穀物が育つ、神々の加護を得られる、菩提の保証

八つの恐怖:敵対国の勃興、内乱・内部抗争、日食月食、星宿の悪変、鬼神の出現、飢饉・旱魃、人民の病

十一面観音

六観音のひとつで、修羅道に迷う人々を救う。頭上に十一の頭を持ち、すべての方向を見守っている観音菩薩。苦しんでいる人をすぐに見つけるために頭の上に11の顔があり、全方向を見守っている。十種勝利(現世利益)と四種功徳(来世果報)などのご利益がある。

現世での利益:無病息災、病気治癒、財福授与、様々な災難から逃れられる、など

来世での果報:延命、地獄に落ちない、極楽浄土に行ける、など